アンカレッジ在住リラさんからのメッセージです。
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こちらに来て「神」にはいろんな姿があることを知りました。そして自分の崇拝する神がベストだと誰もが思っていることに気づきました。私にとっての神とは...日常生活のなかに、輝く太陽に、朝の静けさのなかに、鳥のさえずりのなかに、花々のなかに、夜の輝く星のなかに....あらゆる森羅万象のなかに在る。私自身を含めすべての命のなかに在る。もしあなたの信じる教義が自他を区別するものであれば。それは神から派生したものではない。神は特定の人々だけを救うなんてエゴイスティックな存在ではない。なぜなら、神は自他を分け隔てることが決してないからだ。神はありとあらゆる場所にいる。ありとあらゆるものに浸透している。神はありとあらゆるもののなかに等しく在る。神とはそういうものだ。
I am not a statue in a church. I am not watching over a specific being.
I am in a thousand winds that blow.
I am in the flowers that bloom.
I am in the birds that sing.
I am in the morning hush.
I am the starshine of the night.
I am in each lovely thing.
I am pervading everywhere.
There is no place that I do not exist.
There is no being that I do not dwell in.
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リラさんのブログはこちらです。
http://livininthewilderness.blog56.fc2.com/
リラさん、ありがとう!
返信削除リラさんが言葉を綴るとき、頭を通さないとブログに書いてありましたが、本当に、狭い頭を通して書かれたものではないというように感じます。リラさんの美しい声と一緒になって流れるように聞こえてきます。
いろいろな名前を持つ「神」ですが、「神」といった時点で、もう「 」を表してはいないのではないか、というように感じています。「 」は確かに何をも区別することはなく、否定も肯定もない、全てなのだと思います。それでも、私達がこうして肉体をもち、この現実界で暮らしている以上、「神」そしてもっと分けて「何々神」という「言葉、形」で表していくしかない。でもそれが、区別だけでなく、差別をも生み出してしまうのは、人の弱さゆえなのでしょうか。私自身の内にある弱さに日々向き合っていきたいです。