松尾芭蕉が奥の細道の旅に出たのは1689年のことだ。山形県の立石寺に着いたのは旧暦5月27日、新暦なら7月13日の暑い盛り。
立石寺で蝉の声を聞き、こう詠んだ。
山寺や石にしみつく蝉の声
その後で推敲し、
さびしさの岩にしみ込む蝉の声
そして最終的にはこの形に纏めた。
閑さや岩にしみ入る蝉の声
だから、この句が完成した時はその場に居たのではなくて、後から振り返って、過去の風景の写生、または写生した風景を純化したものだ。
再案の「さびしさ」から最終案の「閑さ」に変わってゆく過程で、芭蕉の心に大きな飛躍があったのではないか。
「さびしさ」というのは、奥の細道のテーマではないかと思うが、また、生きることの無情、それは人間だけではなくて、草木、また鉱物にいたるまでの、いのちそのものの儚さから派生するものだ。芭蕉はこの旅に出たときから、漠然と、客死することを予感していたのかもしれない。
閑さや岩にしみ入る蝉の声
唸るばかりの蝉の声を聞き、その最中に静寂を感じている。岩も呼吸をし、蝉の声も一枚の有機的な生き物のように、お互いが感応しているのだ。芭蕉はそれを感じ、その中にいることで、直観的にインナーピースの心持ちに近づいてゆく。
Echhart Tolle は Gateways to Now の中に、「静寂」から、インナーピースに入ってゆくという道を示している。すべての音は静寂から始まり静寂に終わり、またすべての音の合間には静寂があり、そして、すべての音の底流(undercurrent)には静寂がある。
その静寂を聞き取るには注意深さが要求されるが、その行為そのものが、知覚を開いてゆく。目覚めた知覚で感応する世界は、過去でもなく未来でもなく、今そのもので、それはこの上もなく美しい。
芭蕉は、立石寺の蝉の声と岩の風景を、後日心の中に蘇らせながら、その唸るような蝉の声の底流にある「閑さ」を感得したのだ。「閑さ」のドアから入って行った芭蕉のインナーピースは、それはまた「今」から「普遍」への飛躍でもある。
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