2009年8月12日水曜日

曼荼羅を描く掌秋の声 by 青々

今週は5日間 "Non Violent Communication"という講習を受けていて、職場のスタッフやその周りの人たち35人くらい一緒に、あ〜、そうかという体験をしている。

スタッフ全員でこれをマスターしたら、人間関係が上手くいって、そして仕事もスムーズにいき、個人的にもストレスが減るという意図なんだけれども、それ以上に、日本人のわたしとしては、西洋人が西洋的な考え方に行き詰まっているんだなあと感じている。非暴力コミュニケーションというメソッドが出来る陰には、西洋的なコミュニケーションそのものが、暴力的だという前提があるからじゃないかしら。

西洋的な考え方というのは、徹底して理性的で、理論的というか、場合によれば、口喧嘩して勝てばそれでいいというか、時として、モラルってどこにあるのっていうふうになってしまう。理路整然と言わなければ人でないみたいな社会だ。

で、非暴力コミュニケーションのキーは、empathy(共感)だという。平たく言えば、相手の気持ちになって、相手の痛みを感じ、いいとか悪いとか、そういう判断はしないということだ。頭ではなくて心だということか。講習中は、いろんなロールプレイをしたり、相手の話を聞く練習をしたりしているのだけれども、共感だけするというのは結構難しくて、相手を非難したり、また自分を非難したりする癖がでてしまう。ま、練習すればするほど、純粋のempathyに近くなっていくのだろうけど。

でも、日本で育つと、いつも、相手の気持ちになってみなさいと言われてきたように思う。日本人って、非暴力コミュニケーションの訓練を積んでいるんじゃないかしら。すごっ。

西洋が東洋に近づいてきたか。。。。。いやいや、その試みか。。。 

2009年7月19日日曜日

なってたよ by acupoftea


週末のハイキング。

山はすっかり秋めいていた。



ブルーベリーもなってたよ!



みなさん、バケツを持って、よーいどん!

2009年7月14日火曜日

ヨーガとは by acupoftea


週1回を目標に、さぼりながらヨーガ教室に通っている。普段使わない筋肉や筋を伸ばしたり、深く呼吸をしたりすることはとても体と心にいい気がする。

最近読んでいる「ヨーガ入門」(平凡社新書)という本に、ヨーガとは、「人間が大自然の循環の中にもどり、自分自身の内側にも自然な生き方を回復させる」という「自然性回復の方法」だとあった。ヨーガに取り組むことを通じて、自分と世界を変えることができる、とも。不殺生、あるいは非暴力、という思想もヨーガと深く関わりを持つらしい。

ヨーガは、ここが痛いから、とか、少しやせたいから、などという理由で行う「エクササイズ」のようなものではないらしい。それより、ずっと深くて幅の広いもののようだ。

私は、このヨーガの世界にまじめに入門したいと思っている。煩悩だらけの私の人生を、どうにかして変えてみたい。そして、ヨーガを通して世界を新しい目で見てみたい。

まあ、何事も三日坊主の私だから、あまり風呂敷は広げないでおく。この記事の字も小さめだ。とりあえず、まだ空想(妄想)の段階である。




出産報告 by カイ


おかげさまで、7月10日午前10時47分に3,600gの元気な男の子を出産しました。
翌日退院し、日々体力を回復しつつあります。

一つ終え、また新たなスタート地点に立ったような気持ちでいます。

気に掛けてくださった皆様方、本当にありがとうございました!



それにしても、

臨月 腹が重く何だか気が立って寝られない
出産 一晩中続く陣痛で寝られない
産後 昼夜構わず母乳を飲みまくる新生児の世話で寝られない

この「寝られない仕組み」、今更ながらすごいですね(笑)。
細切れ睡眠で回復できる身体を創るしかない。。。

2009年7月9日木曜日

散歩 by カイ

自宅から車で数分いったところにあるポッター・クリーク・トレイルへ。40分ほどで1周でき海もみえる手軽な散歩コースだ。少し急な坂が続くが、Hとペチャクチャと話しながら2歳児の手を引いて登る。

前方からきた女性達が、2頭の小熊を連れた熊がウロウロしているので、子供達を近くに呼んだ方がよいと教えてくれる。すぐに前方に走って行って見えなくなっていたHの子供達2人と家の長男長女を大声で呼ぶ。

長男は「な、何々、陣痛始まった?」と駆け戻ってくる(笑)。

山の上に住むHの庭にも2日前熊が座っていたという。30分ほど車で走ったところにあるキャンプ場もあまりに頻繁に熊が出没するので閉鎖になっているという。

アンカレッジ周辺そこかしこで起こっている山火事で空は幕に覆われたように白く曇っている。アンカレッジには珍しい蒸し暑い日が続いている。




まだまだ早いと思ったのだけれど、子供達は赤く熟したラズベリーを見つけ大喜び。食べまくる。

前祝に感謝 by カイ

出産間近(のはず)。

自分の輪郭が下半身から無くなっていくような感覚、
がここ2週間程強くなってきている。

私ではない新しい形を生み出すということか。

私も赤ん坊も越えた何か大きな力に溶けて繋がっていくような感覚でもある。

自分の境界が消えていく。



何人かの友人達に出産前祝をしていただいた。
ありがとうございました。

ピクニックで。なんて可愛い!


自宅で。このご馳走!このケーキ!


おむつケーキ。美味しそう!?

2009年6月29日月曜日

ある週末の1日 by カイ

午前、自宅から20分程車で走ったところにある湖沿いを1時間半程散歩。
午後は裏庭でプール。お湯を入れ温泉気分。

気温も20度を越え、子供達も日焼け。
あと何日こういった天気が続くのでしょうか。
期間限定だからこそ身に染みるこの陽光の尊さ、日々かみ締めてます。



2009年6月25日木曜日

巣作り by カイ


あと2日で妊娠38週、いつ産んでもよい状態に入る。前駆陣痛と赤ん坊が降りてこようとする圧力からくる下半身のだるさを感じながら、ここ2週間ほどはまっているのが「整理整頓」。

普段は夕食を食べ少しゆったりするはずの夕方頃から、引き出しという引き出し、戸棚という戸棚、物置という物置、家族が寝静まった真夜中過ぎまでひたすら整理。薄暗い中、目をランランとさせ、突き出た腹で時々来る陣痛に呼吸を乱しながら、一心不乱に作業する姿はかなり不気味かもしれない。

いつか使うだろうと思いながら何年も使わないでいるものは全て寄付。不用だけれどまだ使えそうなものを電話で予約するとトラックで無料で取りに来てくれるシステムがあり便利だ。物が減るとまた整理しやすい。

家で問題なのは整頓された状態を「維持」すること。長男(9歳)長女(7歳)には整理整頓は「クラシフィケーション(分類)」であって、「物」をみてどこに属するかを「分類」していく作業なのだと話す。分類の難しいものは一緒に帰属場所を創っていこうと。

赤ん坊が生まれてくると思うように動けないから子供達が少しでも片付けやすいように、とか色々理由はあるのだけれど、赤ん坊を迎えるための巣作りをせっせとしているイメージだ。




といいながら先週二件隣のガレージセールでこんなものを購入。
「綿菓子作り機」。

長男が自分の小遣いでどうしても買うといい、3ドルで。箱をみてかなりの年代ものだとは思いつつも、一度も使った事がないという新品。子供の友達が来た時など結構盛り上がって楽しんでいる。収納場所はどこにしようか(笑)。。。

2009年6月22日月曜日

ある愛のつぶやき(またはぼやき) by acupobtea

子供が寝付かないのは、お昼の運動が足りないからなのだそうな。

子供が寝付かないのは、「早く寝てくれ〜」という下心があるからなのだそうな。

子供が寝付かないのは、一緒に遊んでやる時間、すなわち愛情が足りていないからなのだそうな。



…そうかと思えば。

子供といつまでも一緒に寝ていると、自立心の成長を阻害するのだそうな。

子供といつまでも一緒に寝ていると、甘え癖がつくんだそうな。

子供といつまでも一緒に寝ていると、親の生活を脅かすのだそうな。



…何やらわけがわからん。

勝手に言わせとけっ!(逆ギレ)



ぶつぶつぶつぶつぶつぶつ…

今日も一日無事終わりそうです。

逆立ちして寝よーっと。



伝えたいこと by てびち

先日息子1が13歳の誕生日を迎えた。 沖縄では七五三と同じように大切な行事だ。
私も大人になったようで謹んでお祝いを受けたっけ。
13年前、不安と希望が混ざった複雑な気持ちで子育てが始まった。 そして多くの親がそうだと思うけど、私も妊娠出産を経て環境や生活に関心を持つようになった。 きれいな海、空気を残したい、健やかにいてほしいと。

転勤族である我家は平均2,3年ごとに住む場所が変わる。
知り合う人も様々、国が違えば戸惑うこともある。 年を重ねるごとにいろんなことが起こるし、選択をしなければいけなくなることもある。 しばらくの間だけのこと、自分が頑張れば済むこと、、、と、人との和を保ってきたこともあった。
で、わかったこと「犠牲は人とのつながりを悪くするだけ」愚痴が出るようなことはしたくないな。 でも意外と日本人社会では難しいことなんだよね。。。
今ここで変わらないと子供、孫までその価値観や思考回路を引き継がせてしまう。
そう考えられるようになった時、あまり思い悩むことがなくなって日々の生活がとてもシンプルになった。

息子が13歳になって、子育ての節目を迎えた今だからこんな事を考えてみた。
子供達に伝えたいこと、同時に私自身もいつも心に留めておきたいこと、、、
自分の心の声を聞いて、思いやりや感謝の気持ちを忘れずいよう。
相反するようだけど、結果的には人とのつながりを良くする、と願う。

思っていることや感じた事を言葉や文章にして伝えるって難しいね。
「イマココ煮」でつらつらと綴ることで目の前が晴れてきたらいいな。

胸板の厚くなりゆく雲の峰 てびち

2009年6月17日水曜日

色の饗宴 by カイ

毎年5月の終わり頃から1年草を植え始める。
多年草は日に日に緑を広げ花を咲かせる。

冬は 白銀
春は 泥色
夏は 色の狂宴
秋は 黄金
といった色のサイクルで一年が過ぎる。

こちらでは朝晩の気温差が激しいので草花の色が鮮やかだ。
束の間の夏、溢れる色を楽しんでいる。




古くなったプランターをペイント


土を入れ替える


枯れては咲き、花が次々と出てくる

2009年6月4日木曜日

「オカアサン!」 by acupoftea


先週から諸事情により午後から出勤している。今週は仕事が終わるのが午後7時。




車が1台しかない我が家では、その日の夫婦2名の行動予定を考慮の上、どちらが車を主に使うかを決める。

今週は夫が私をオフィスに送迎してくれることになっている。

昨日、午後7時に仕事を終えて、オフィスを出た。がらんとした駐車場に我が家の車があるのだが、中に人影が見えない。どうしたんだろう。

辺りを見回すと、少し離れたところで夫と娘が手をつないで歩いているのが見えた。娘は私を見るなり、

「あ、オカアサン!」

と叫んで、笑いながら、しかし一生懸命な面持ちで駆け寄ってきた。




ただそれだけのことである。でも私は妙に切ない気分になった。

私を2歳前から保育園に預けて仕事をしていた母の気持ちはこんな感じだったのだろうか、とふと思った。

私は気まぐれで、自分勝手で、気の短い、いじわるな母親である。

帰り道、助手席ではなくカーシートの隣の席に座り、ずっと娘の手をつないでいた。




…で、夜が来るとなかなか寝付かない娘にいつものように苛つく、懲りない私なのである。


閑さや by 碧

松尾芭蕉が奥の細道の旅に出たのは1689年のことだ。山形県の立石寺に着いたのは旧暦5月27日、新暦なら7月13日の暑い盛り。

立石寺で蝉の声を聞き、こう詠んだ。
山寺や石にしみつく蝉の声

その後で推敲し、
さびしさの岩にしみ込む蝉の声

そして最終的にはこの形に纏めた。
閑さや岩にしみ入る蝉の声

だから、この句が完成した時はその場に居たのではなくて、後から振り返って、過去の風景の写生、または写生した風景を純化したものだ。

再案の「さびしさ」から最終案の「閑さ」に変わってゆく過程で、芭蕉の心に大きな飛躍があったのではないか。

「さびしさ」というのは、奥の細道のテーマではないかと思うが、また、生きることの無情、それは人間だけではなくて、草木、また鉱物にいたるまでの、いのちそのものの儚さから派生するものだ。芭蕉はこの旅に出たときから、漠然と、客死することを予感していたのかもしれない。

閑さや岩にしみ入る蝉の声

唸るばかりの蝉の声を聞き、その最中に静寂を感じている。岩も呼吸をし、蝉の声も一枚の有機的な生き物のように、お互いが感応しているのだ。芭蕉はそれを感じ、その中にいることで、直観的にインナーピースの心持ちに近づいてゆく。

Echhart Tolle は Gateways to Now の中に、「静寂」から、インナーピースに入ってゆくという道を示している。すべての音は静寂から始まり静寂に終わり、またすべての音の合間には静寂があり、そして、すべての音の底流(undercurrent)には静寂がある。

その静寂を聞き取るには注意深さが要求されるが、その行為そのものが、知覚を開いてゆく。目覚めた知覚で感応する世界は、過去でもなく未来でもなく、今そのもので、それはこの上もなく美しい。

芭蕉は、立石寺の蝉の声と岩の風景を、後日心の中に蘇らせながら、その唸るような蝉の声の底流にある「閑さ」を感得したのだ。「閑さ」のドアから入って行った芭蕉のインナーピースは、それはまた「今」から「普遍」への飛躍でもある。

2009年6月2日火曜日

フーリガン漁 by カイ

 週末の早朝、彼と長男 (9才) がフーリガン漁に出かけた。アンカレッジから車で50分ほど。

 フーリガン(hooligan)と呼ばれるこの魚、産卵期のこの時期には25センチ前後の体長の15パーセント程が脂で占められる。脂がのりにのって何とも美味しい。その脂多さから昔は干してキャンドルとして使われたため、別名キャンドル・フィッシュと言われたりもする。フーリガン(hooligan, ooligan)の語源はネイティブ・アメリカンのチヌーク語にあるそうだ。

 出かけて3時間もたたない内に2人が戻ってくる。網一すくいに平均10匹は入ってくるほどの大漁だったらしい。一時間弱で416匹。


 家族総出で処理にかかる。調理に便利なようにオスとメスを分ける。メスは腹に卵を抱えていてこれもまた子持ちシシャモのようで美味しい。オスとメスが7対3ほどの割合だった。



 100匹程残し、あとは塩水に浸したまま小分けしガラージの冷凍庫へ。アラスカでは夏の間に獲れた魚や肉を保存しておくため、冷凍庫を2つ以上もっている家が多い。残しておいた100匹はすぐに調理。

蒲焼風にしたり

南蛮漬風にしたり

スモークにしたり



恵みに感謝。

2009年5月31日日曜日

Anyway........ by 碧

The Words from Mother Teresa

People are often unreasonable, illogical, and self-centered;
Forgive them anyway.

If you are kind, people may accuse you of selfish, ulterior motives;
Be kind anyway.

If you are successful, you will win some false friends and some true enemies;
Succeed anyway.

If you are honest and frank, people may cheat you;
Be honest and frank anyway.

What you spend years building , someone could destroy overnight;
Build anyway.

If you find serenity and happiness. they may be jealous;
Be happy anyway.

The good you do today, people will often forget tomorrow;
Do good anyway.

Give the world the best you have, and it may never be enough;
Give the world the best you've got anyway.

You see, in the final analysis, it is between you and God;
It was never between you and them anyway.


" Anyway" ってよく使うけど、意志を伴う、こういう力強い使い方って新鮮。
カイさん、ありがとう♪

2つの会 by カイ

友人達と2つの会を続けている。

 1つは毎週金曜日の朝。参加者3~5人。

 今は皆でアーヴィン・ラズロ (Ervin Laszlo) の「グローバルブレイン 未来への鍵 ~地球崩壊を止めるためによりよい世界へ向かう 世界頭脳クウォンタムシフト~」( “Quantum Shift in the Global Brain – How the New Scientific Reality Can Change Us and Our World -” ) という本を読んでいる。ラズロはヨーロッパ、アメリカで物理学、哲学を学び、ノーベル平和賞受賞者7人が会員となっているシンクタンク「ブタベストクラブ」を創設。自身も2度平和賞にノミネートされている。
 
 ラズロは、持続可能な世界を目指す上で、指針となる個々の意識の持ち方を量子論などを用いて提案している。



 もう1つは毎週水曜日の夜。参加者2~4人。

 内面的整理、感覚的な話をしながら、日常に向かう姿勢の新たな発見、または確認をしている。科学的論理的な説明はひとまずおいて、感覚的な話大いにあり、という場。外に答えを求めるより、内に潜って答えを見出す、という前提のもと、エックハルト・トール (Eckhart Tolle) や、ウェイン・ダイアー (Wayne W. Dyer) の言葉についても互いに感じることを話したりする。




 2つの会が生活の一部となって定着し、日々の暮らしに頼もしいリズムをもたらしてくれる。語り合える友人達に感謝。

2009年5月30日土曜日

三匹の子豚 by 碧

「三匹の子豚」はもともとはイギリスの昔話で、オリジナルのストーリーのオチが面白い。

三匹目の子豚に騙され、またじらされた狼は、節度を失うくらい頭にきて、「今からお前を食っちゃうぞ」と宣言した後、屋根に上る。それを見た子豚は、早速暖炉に火を熾し、大鍋にお湯を沸かす。煙突から暖炉に降りてきた狼は、その大鍋に落ちるのだが、子豚は即座に蓋をして、狼を料理してしまうのだ。そして、それは三匹目の子豚の朝ご飯になる。

狼は怒っているので、何も見えなくなっているけれども、子豚はいたって冷静だ。大鍋の蓋をする頃合いも絶妙なほど落ち着いている。子豚は、いざと言う時に判断を見失わないほど、マインドフルネスに長けたキャラではないかと思う。

もし誰かから謂れのない事でアタックされることがあるなら、この子豚を思い出そう。そして打ってきた相手のネガティブなエネルギーを、大鍋の中でぐつぐつと煮て、イマココ煮を作り、ポジティブなものに変え、それを糧として生きようではないか。

そしてやっぱり、子豚も狼も生存競争の輪廻の中にいるのだなと痛感する。食うか食われるか。そういう時代に入っているのだと思う。

2009年5月27日水曜日

今この瞬間の一歩 by カイ

明け方、

    「自分を創っていく瞬間があるのみ」

                   という言葉とともに目が覚めた。


「既にある自分」を探すとか見つけるとかではなく。今この一歩一歩をどう踏み出すかの己自身の選択が、己を創っていく。今この瞬間は自由であり、選択の責任も自分自身にある。

今踏み出すこの一歩は、生い立ち、前世(もしあるのなら)、先祖、家系などにより癖をもつかもしれない。過去にがんじがらめになりふりまわされている状態もあるかもしれない。今この瞬間に己に選択の自由があるのだということがみえなくなった状態。実は「選ばされる」という選択肢も自らが選んでいるのだという自覚の欠如。

過去を浄化するのには、許し、感謝の念をもつことが有効。どんな過去からの連なりであっても過去があるために今ここに己が生きているという感謝の念が過去の詰まりを溶かす。



そして、己自身の選択で踏み出す「この一歩はこの先7世代にも影響する」。
ネイティブアメリカンの諺にあるように。

プチキャンプ by カイ

毎年、夏になるとプチキャンプを頻繁にする。

夕飯を食べ、風呂にも入った後、車で30分ほど行った山の中や海辺にテントを張り、火をたき遊んだ後、寝る。彼は翌朝子供達を家におろし、そのまま仕事へ。キャンプというより野宿。

今年もプチキャンプシーズン到来、ということで、まずは裏庭で子供達とテントの張り方しまい方の練習を何度か。その後マシュマロを焼き、テントで就寝。このマシュマロ焼きというのはアラスカに来て、子連れキャンプには定番と知ったのですが、アメリカ全土の習慣なんでしょうかね。

2009年5月26日火曜日

高原旅行 by acupoftea


子供の頃、毎年夏休みに家族で車で3時間ほどの高原に泊まりがけで家族旅行に行くことを、それは楽しみにしていた。それこそ、次の年の旅行を、その年の旅行が終わった瞬間から楽しみにしていた。「旅行」と言ってもせいぜい3泊ぐらいの、ささやかな旅だ。その頃、私たち家族は都会のすみっこに住んでいた。

まずは荷造り。おやつも揃えて。

前の夜は、もちろん寝られない。

高速道路からして興奮のるつぼだ。高速道路走行中、弟と作詞作曲した歌もいくつか。

山に着けば、空気が涼しくて、都会では夏には着ないセーターが必要だ。

憧れの高山植物の花々に1年ぶりに対面。

山小屋で食べる山菜料理の、エキゾチックなこと。

夜になると自家発電の電気は切られ、部屋にはランプが灯される。

黒曜石という、黒く渋く光る天然石を拾う。

川をせき止めて、ダムを作る。

都会にいる時とは全く違った心と体で活動をしているような、そんな気分だった。

***

先週末、車で15分ぐらいのパワーライントレイル(「電線遊歩道」?)をお弁当を持ちながら家族で歩いていて、ふと思った。

これって、子供の頃、夢にまで見たあの「高原」が、自宅から15分の「日常」の中にあるってことじゃないか!

日常からこんなに近いアラスカの「高原」を、アラスカに住む私は都会にいる時の心と体で歩いている。

子供だった頃の気持ちで、今度は山を歩いてみたい。