2009年6月29日月曜日

ある週末の1日 by カイ

午前、自宅から20分程車で走ったところにある湖沿いを1時間半程散歩。
午後は裏庭でプール。お湯を入れ温泉気分。

気温も20度を越え、子供達も日焼け。
あと何日こういった天気が続くのでしょうか。
期間限定だからこそ身に染みるこの陽光の尊さ、日々かみ締めてます。



2009年6月25日木曜日

巣作り by カイ


あと2日で妊娠38週、いつ産んでもよい状態に入る。前駆陣痛と赤ん坊が降りてこようとする圧力からくる下半身のだるさを感じながら、ここ2週間ほどはまっているのが「整理整頓」。

普段は夕食を食べ少しゆったりするはずの夕方頃から、引き出しという引き出し、戸棚という戸棚、物置という物置、家族が寝静まった真夜中過ぎまでひたすら整理。薄暗い中、目をランランとさせ、突き出た腹で時々来る陣痛に呼吸を乱しながら、一心不乱に作業する姿はかなり不気味かもしれない。

いつか使うだろうと思いながら何年も使わないでいるものは全て寄付。不用だけれどまだ使えそうなものを電話で予約するとトラックで無料で取りに来てくれるシステムがあり便利だ。物が減るとまた整理しやすい。

家で問題なのは整頓された状態を「維持」すること。長男(9歳)長女(7歳)には整理整頓は「クラシフィケーション(分類)」であって、「物」をみてどこに属するかを「分類」していく作業なのだと話す。分類の難しいものは一緒に帰属場所を創っていこうと。

赤ん坊が生まれてくると思うように動けないから子供達が少しでも片付けやすいように、とか色々理由はあるのだけれど、赤ん坊を迎えるための巣作りをせっせとしているイメージだ。




といいながら先週二件隣のガレージセールでこんなものを購入。
「綿菓子作り機」。

長男が自分の小遣いでどうしても買うといい、3ドルで。箱をみてかなりの年代ものだとは思いつつも、一度も使った事がないという新品。子供の友達が来た時など結構盛り上がって楽しんでいる。収納場所はどこにしようか(笑)。。。

2009年6月22日月曜日

ある愛のつぶやき(またはぼやき) by acupobtea

子供が寝付かないのは、お昼の運動が足りないからなのだそうな。

子供が寝付かないのは、「早く寝てくれ〜」という下心があるからなのだそうな。

子供が寝付かないのは、一緒に遊んでやる時間、すなわち愛情が足りていないからなのだそうな。



…そうかと思えば。

子供といつまでも一緒に寝ていると、自立心の成長を阻害するのだそうな。

子供といつまでも一緒に寝ていると、甘え癖がつくんだそうな。

子供といつまでも一緒に寝ていると、親の生活を脅かすのだそうな。



…何やらわけがわからん。

勝手に言わせとけっ!(逆ギレ)



ぶつぶつぶつぶつぶつぶつ…

今日も一日無事終わりそうです。

逆立ちして寝よーっと。



伝えたいこと by てびち

先日息子1が13歳の誕生日を迎えた。 沖縄では七五三と同じように大切な行事だ。
私も大人になったようで謹んでお祝いを受けたっけ。
13年前、不安と希望が混ざった複雑な気持ちで子育てが始まった。 そして多くの親がそうだと思うけど、私も妊娠出産を経て環境や生活に関心を持つようになった。 きれいな海、空気を残したい、健やかにいてほしいと。

転勤族である我家は平均2,3年ごとに住む場所が変わる。
知り合う人も様々、国が違えば戸惑うこともある。 年を重ねるごとにいろんなことが起こるし、選択をしなければいけなくなることもある。 しばらくの間だけのこと、自分が頑張れば済むこと、、、と、人との和を保ってきたこともあった。
で、わかったこと「犠牲は人とのつながりを悪くするだけ」愚痴が出るようなことはしたくないな。 でも意外と日本人社会では難しいことなんだよね。。。
今ここで変わらないと子供、孫までその価値観や思考回路を引き継がせてしまう。
そう考えられるようになった時、あまり思い悩むことがなくなって日々の生活がとてもシンプルになった。

息子が13歳になって、子育ての節目を迎えた今だからこんな事を考えてみた。
子供達に伝えたいこと、同時に私自身もいつも心に留めておきたいこと、、、
自分の心の声を聞いて、思いやりや感謝の気持ちを忘れずいよう。
相反するようだけど、結果的には人とのつながりを良くする、と願う。

思っていることや感じた事を言葉や文章にして伝えるって難しいね。
「イマココ煮」でつらつらと綴ることで目の前が晴れてきたらいいな。

胸板の厚くなりゆく雲の峰 てびち

2009年6月17日水曜日

色の饗宴 by カイ

毎年5月の終わり頃から1年草を植え始める。
多年草は日に日に緑を広げ花を咲かせる。

冬は 白銀
春は 泥色
夏は 色の狂宴
秋は 黄金
といった色のサイクルで一年が過ぎる。

こちらでは朝晩の気温差が激しいので草花の色が鮮やかだ。
束の間の夏、溢れる色を楽しんでいる。




古くなったプランターをペイント


土を入れ替える


枯れては咲き、花が次々と出てくる

2009年6月4日木曜日

「オカアサン!」 by acupoftea


先週から諸事情により午後から出勤している。今週は仕事が終わるのが午後7時。




車が1台しかない我が家では、その日の夫婦2名の行動予定を考慮の上、どちらが車を主に使うかを決める。

今週は夫が私をオフィスに送迎してくれることになっている。

昨日、午後7時に仕事を終えて、オフィスを出た。がらんとした駐車場に我が家の車があるのだが、中に人影が見えない。どうしたんだろう。

辺りを見回すと、少し離れたところで夫と娘が手をつないで歩いているのが見えた。娘は私を見るなり、

「あ、オカアサン!」

と叫んで、笑いながら、しかし一生懸命な面持ちで駆け寄ってきた。




ただそれだけのことである。でも私は妙に切ない気分になった。

私を2歳前から保育園に預けて仕事をしていた母の気持ちはこんな感じだったのだろうか、とふと思った。

私は気まぐれで、自分勝手で、気の短い、いじわるな母親である。

帰り道、助手席ではなくカーシートの隣の席に座り、ずっと娘の手をつないでいた。




…で、夜が来るとなかなか寝付かない娘にいつものように苛つく、懲りない私なのである。


閑さや by 碧

松尾芭蕉が奥の細道の旅に出たのは1689年のことだ。山形県の立石寺に着いたのは旧暦5月27日、新暦なら7月13日の暑い盛り。

立石寺で蝉の声を聞き、こう詠んだ。
山寺や石にしみつく蝉の声

その後で推敲し、
さびしさの岩にしみ込む蝉の声

そして最終的にはこの形に纏めた。
閑さや岩にしみ入る蝉の声

だから、この句が完成した時はその場に居たのではなくて、後から振り返って、過去の風景の写生、または写生した風景を純化したものだ。

再案の「さびしさ」から最終案の「閑さ」に変わってゆく過程で、芭蕉の心に大きな飛躍があったのではないか。

「さびしさ」というのは、奥の細道のテーマではないかと思うが、また、生きることの無情、それは人間だけではなくて、草木、また鉱物にいたるまでの、いのちそのものの儚さから派生するものだ。芭蕉はこの旅に出たときから、漠然と、客死することを予感していたのかもしれない。

閑さや岩にしみ入る蝉の声

唸るばかりの蝉の声を聞き、その最中に静寂を感じている。岩も呼吸をし、蝉の声も一枚の有機的な生き物のように、お互いが感応しているのだ。芭蕉はそれを感じ、その中にいることで、直観的にインナーピースの心持ちに近づいてゆく。

Echhart Tolle は Gateways to Now の中に、「静寂」から、インナーピースに入ってゆくという道を示している。すべての音は静寂から始まり静寂に終わり、またすべての音の合間には静寂があり、そして、すべての音の底流(undercurrent)には静寂がある。

その静寂を聞き取るには注意深さが要求されるが、その行為そのものが、知覚を開いてゆく。目覚めた知覚で感応する世界は、過去でもなく未来でもなく、今そのもので、それはこの上もなく美しい。

芭蕉は、立石寺の蝉の声と岩の風景を、後日心の中に蘇らせながら、その唸るような蝉の声の底流にある「閑さ」を感得したのだ。「閑さ」のドアから入って行った芭蕉のインナーピースは、それはまた「今」から「普遍」への飛躍でもある。

2009年6月2日火曜日

フーリガン漁 by カイ

 週末の早朝、彼と長男 (9才) がフーリガン漁に出かけた。アンカレッジから車で50分ほど。

 フーリガン(hooligan)と呼ばれるこの魚、産卵期のこの時期には25センチ前後の体長の15パーセント程が脂で占められる。脂がのりにのって何とも美味しい。その脂多さから昔は干してキャンドルとして使われたため、別名キャンドル・フィッシュと言われたりもする。フーリガン(hooligan, ooligan)の語源はネイティブ・アメリカンのチヌーク語にあるそうだ。

 出かけて3時間もたたない内に2人が戻ってくる。網一すくいに平均10匹は入ってくるほどの大漁だったらしい。一時間弱で416匹。


 家族総出で処理にかかる。調理に便利なようにオスとメスを分ける。メスは腹に卵を抱えていてこれもまた子持ちシシャモのようで美味しい。オスとメスが7対3ほどの割合だった。



 100匹程残し、あとは塩水に浸したまま小分けしガラージの冷凍庫へ。アラスカでは夏の間に獲れた魚や肉を保存しておくため、冷凍庫を2つ以上もっている家が多い。残しておいた100匹はすぐに調理。

蒲焼風にしたり

南蛮漬風にしたり

スモークにしたり



恵みに感謝。